日本、中国、韓国、台湾など、東アジア文化圏は漢字の文化圏です。
この漢字文化圏では、世界でdiabetes mellitusと呼ばれている疾患を「糖尿病」と呼んでいます。
果たして、「糖尿病」という病名は、いつ、どこで、どのようにして生まれたのでしょうか?

実は、「糖尿病」が生まれたのは私たちの国、日本です。
それほど昔ではなく、明治時代に生まれました。
1888 年(明治21年)発刊の「漢洋病名対照録」に初めて「糖尿病」という病名が記載されました。
そのころまでに清や李氏朝鮮で「糖尿病」という病名が記載されたことがないため、日本で「糖尿病」と名付けられたのです。
しかし、その当時は現在の糖尿病という疾病は消渇(しょうかつ)と呼ばれるのが一般的で、次によく用いられていたのは「蜜尿病」という呼称です。
実はdiabetes mullitusのmellitusは蜜という意味で、江戸時代末期には「蜜尿病」と呼ばれていました。
明治時代には、消渇、蜜尿病、糖尿病という病名が混在して使用されていました。
mellitusの蜜がsugar 糖であることが分かり、次第に糖尿病が多く使われるようになり、1907年(明治40年)の 第 4 回日本内科学会講演会を契機に「糖尿病」に統一されたと考えられています。

では「diabetes」という病名はいつから用いられているのでしょうか?これは非常に長く過去に遡ります。
紀元 2 世紀 Cappadocia(現在のトルコ) の Aretaeusが命名したとされています。
「diabetes」はギリシャ語に由来するといわれています。
dia=through、betes=passの意味で、pass through、即ち、食べ物や水が身体を通り過ぎるという意味のようです。
「diabetes」は「尿崩」と訳されています。
なぜ、急に尿の文字が入ったのでしょうか?

それは、江戸時代の鎖国政策とその中で特別に許可された蘭学が絡んでいるのです。
当時、オランダが江戸幕府に国交を許された唯一の国でした。
八代将軍徳川吉が西洋科学を取り入れることを推奨したため、日本の学者が長崎からオランダの学問を多く取り入れました。
医学でもオランダの医学書で日本の学者が勉強をしました。
しかし、充実した辞書がなく、有名な解体新書でも杉田玄白らが有志と喧々諤々の検討をしてわずか数行の文章を訳すことができなかったことが記されています。

そのような中で、元はドイツ語で書かれた医学書がオランダ語に訳されたなかに糖尿病に相当する項目がありました。
タイトルは、Pisvloed(Urinae profluvium, diabetes)でした。
蘭学者宇田川玄随がその書物を訳し、1792年に西説内科撰要として世に出していますが、尿崩はラテンにこれをウリナフロストピーム、ヂャプテスと記載されている。
宇田川玄随が理解できたのは唯一研究できたpisvloedという単語であろう。
pis=urine, vloed=floodなので、以来、「尿崩」という言葉が糖尿病のように尿が多く出る病気として認識されたのです。
のちにdiabetesにmellitusがついたことで、「蜜尿病」という言葉が派生しました。
こうした経緯があって、diabetesから「尿」という字が分離できなくなったわけです。

「糖尿病」が一般に用いられて110~120年と長い年月が経過しています。
しかしながら、「diabetes」という疾患が認識されてから2000年近く経とうとしています。
「diabetes」に比べると「糖尿病」はまだまだ若い病名なのです。